サリーのきもち。

29歳独女、ふざけまじめな独りごと。

おべんきょおべんきょ嬉しいなー。

こんち。タイパンツの者です。

 

今日は珍しくまじめに、「お勉強」について考えます。

 

「ベンキョー」ってやつ。(やな響きー

 

私は今、留学中なもので、毎日毎日ベンキョーしてます。
英語、イラレ・フォトショ、コーディング、等です。

 

 


これがですね。

 

めちゃんこ楽しいのです。

 


そして、一緒に暮らしている同じ学生のみんなも
毎日前向きに、ベンキョーしているのです。

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※こんなかんじ!

 

 

対して、

 

学生の時って、勉強しないじゃないですか。
(いやもちろん人によるのですが。)

 

義務教育の中身が、すべて、のちのち必要だったかはわからないけど、
やっぱり基礎教養って、絶対大事で、

あの時代に、キラキラと勉強できたら、
いいのになーって思う。

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じゃあ、今と、仮に小学校が、
何が違ったのかなーって、考えてみるわけです。

 

ひとつのキーワードは、これ。

 

<なう>
・勉強することで、なりたい自分に、近づいていっている感じがする。

 

 

私たちは、今それぞれ、
「かっこいいサイト作れるようになりたい」とか、
「お金稼ぐためのスキルがほしい」とか、

何かしらのビジョンがあって、
それに向かって、頑張っているわけです。

 


じゃあ、小学生に、「なりたい自分」がないのか?

のんです。

 

でも、俗に言う、ちっちゃいころの「将来の夢」ってやつは、
いま私たちが描く「なりたい自分」とは、少しちがう。

 

たとえば「将来の夢」しりーーず。

「サッカー選手になりたい」
「ケーキ屋さんになりたい」
「アイドルになりたい」

 

・・・など、まあ、ある人にはあるわけだけど、
(ちなみにサリーは一切なかった。夢のないこども。)


それらの「将来の夢」ってやつは、
なんだか、すごーく遠い先の話な感じがするわけです。

 

 

ちっちゃいころ、ハタチのオネエさんって、すごい先の、すごい大人の人だったよね。 

遠い先のことって、がんばるの難しいよね。にんげん。(´Д` )

 

 

 

対して、なうの私たちの、「なりたい自分」は、
もっと、すぐの、手の届く距離の、今日、明日の自分を描いています。

 

すこし例外に触れておくと、

貧しい国の子供が、たとえば将来お医者さんになりたくて
すごく頑張って勉強しているドキュメンタリーとか、よくあるけど、
「現状打破への意欲」が、日本とは計り知れないほど違う。

ようは、日本のこどもは、現時点の生活が恵まれていることが多いため、
遠い先に対する同じ意欲は生まれづらいのだろうと整理します。

 

 

もうひとつのポイントは、

小さい頃に描く「将来の夢」って、
一見して、授業の勉強とあんまり関係なさそうに感じるものも多い。

(まさに、サッカー選手とかケーキ屋さんとかアイドルとかね。)
(ほんとうは、必要なんだけどね。)

 

 

さて。

 

小学校のときに描いている、「今日、明日の自分」って
どんなもんだったでしょうか。

 

人気者になりたい

モテたい

友達に好かれたい

先生のこと、間違えて「お母さん」って呼んで恥ずかしいきもちになりたくない

授業中おなかが鳴って笑われたらどうしよう

トイレ長くてうんちってバレたら恥ずかしい(やーいうんちー

 

おおよそ、そんな感じじゃないかと思うわけです。


ようは、この小さいコミュニティ(クラスや学年)で、
まわりにどう思われるか、ということに、いっぱいいっぱいなのじゃないかと。

 

 

でも、小学校でモテるやつって、
50m走が速いやつなんです!!!(断言!!)

同じ生物として、あいつの方が身体能力高い!っていうのは、
小学生には、わかりやすいカッコよさなのでしょうかね。

(サリーは足が遅かったのが、心の底から悩みでした。体育きらいだ!)

 

 

 

というわけで。長くなりましたが。

本日のまとめ。

 

『「いちばん勉強できるやつ」が、いちばんモテる!』
そんな学校であれば、小学生も頑張って勉強するんじゃないかしらっ!

 

(長かったわりに、大した結論じゃねーな。)(´Д` )

 

 

まじめモードも疲れてきたので、
次、気が向いたときに


どうやったら、いちばん勉強できるやつがいちばんモテるカルチャーになるか、を

ふざけて考えようと思います。

 

しーゆー。